人生初めての座禅体験
開設して間もないんだけど、とてつもなく暇。
朝のうちに明日必要な書類も作ってしまい、見事にやることがない。
せめてタイピングをしていたら何かしている風な雰囲気を醸しだせるかなぁと
浅はかな思考での更新。
一昨日、彼女と一緒にここ最近の念願であった初めての座禅体験をしてきた。
ことの発端は今年の夏。実家がお寺の知人Aさんの家に遊びに行った日。
私の祖母が敬虔な仏教徒(禅宗)で、幼いころからお寺に行ってお参りしたり、お寺の行事に参加したり、お寺に行くこと自体人生で割と慣れ親しんだ事ではあった。
なんとなくお経も読めるし、頭の中で当たり前に「お寺といえば」が形成されるのにそう時間はかからなかったと思う。
この夏、その当たり前を全く理解していないことに気が付いた。
Aさんのご実家は寺は寺でも宗派が違い、当たり前に慣れ親しんでいたはずの本堂のレイアウトも全く違えば、読むお経も考え方も違う。
今まで仏教として一括りに考えていたものが実は色々な宗派に細分化されていることを改めて知る。
色んな宗派があることはもちろん知っていたし、宗教観の違いについてなにか思うことがあるというわけでも無いのだが、私はAさんの信仰心、知識、理解に感心させられた。
Aさんからご実家の紹介を受けているうちに、当たり前に通っていた檀那寺の宗派について何も知らない事を身に染みて痛感した私は、禅宗とは何ぞやと調べるところから始め、最終的に体験だ!と座禅の体験をしてみたいと思うようになった。
そんなこんなで当日、実家と同じ宗派のお寺さんで座禅体験をしてきた。
座禅を組む意味、足の組み方からレクチャーを受ける。本来なら線香が3時間かけて燃え尽きるまで座禅を組むらしいのだが、体験ということで20分で燃え尽きる線香に火がともされた。
呼吸と姿勢を意識してただ座る。
なるほど、普段は気にも留めない環境音が鮮明に聞こえる。
枯れ葉が転ぶ音が心地良い。
座禅、いいな。
なんて思えたのも最初の5分だけだった気がする。
足の感覚がなくなり始め、座り方が悪かったのか、全体重を預けた私の右尻が悲鳴を上げる。平常心とは対極の苦悶に満ちた表情を浮かべながら
”早く終わってくれ、、、!”
と背後に鎮座する仏様に祈る。仏様も苦笑いしてただろうな、、
終了を知らせる鐘が鳴る。足の感覚を失いさながら産まれたての小鹿のように立ち上がる私を見て、少なくとも和尚さんは苦笑いしてた。
これを3時間なんて信じられないし、なるほど修行になる。
自分が幼いころから触れてきた宗派の一端を垣間見ることができ、
結果的に座禅体験はとても有意義なものになった。
自分のルーツが少し明らかになった、そんな気持ち。
聞けば、次は写経の体験会があるのだとか。
毛筆3段(彼女は師範、、)の腕前をいかんなく発揮して、また理解を深めに行きたい。