ロウソクの火が消えるまで

日々の景色や思うこと。

これだけで十分なのに

気持ちを言葉に変換する。

誰かに伝える。

分かってくれて当たり前だと思ってたし

理解してくれないことに辟易していた。

かと思えば誰かの思考は簡単に受け入れたくなくて

何処か俯瞰で目の前の相手を見ていたし、

なんなら少し見下していた。

 

相手が理解してくれないことが理解できない。

理解した素振りを見て満足し、

その後自分の意見が反映されない事に幻滅する。

 

今思えば傲慢すぎた思考への不安を、思っているより数倍の多大な勇気を持って言葉にする。

どこか、夏から秋への移り変わりを感じていくように、

時間をかけて不安は少しずつ熱を冷ましていく。

 

私たちは良くも悪くも常に誰かの言葉に縋っている。

親類、友人、恩師、上司や後輩、本

今まで関わってきた人や感銘を受けた言葉の一筋の光に勝手に正義を見出し、相反する意見は淘汰する。

そしていつのまにかその光が闇となり、蝕まれ、

心を挫かれる。

 

たまたま見た実家のトイレの日めくりカレンダー

"信じると言うことは期待することとは違う

 相手を信じたいと思う、自分を信じることだ"

昔の上司に言われた

"是々非々を守れ"

"受けた恩は石に刻め

   与えた恩は水に流せ"

当時の私にとっての希望であり崇拝であり、

今の私にとっての病であり呪いだ。

呪いは心に染み付き、あわよくば他人に感染させようとする。その強力な感染力に心を消耗し、疲弊する。

 

その呪いの奥底にある言葉を、

苦しいし認めたくは無いが口にする。

誰かに聞いてもらう。

無理なもんは無理。人は変わらない。

私も、あなたも。

誰にだって固有の正義があり、

一種の宗教のようにそれを信じて疑わない。

あなたの当たり前は私の当たり前ではないし、逆もまた然りなのだ。

他人からの評価、イメージに塗り固められた

"それ"は本来の私ではない。

人生において何が1番重要か、それを満たせるもの以外は、ありきたりでも、それなりでもいい。

そう思えた時から、心はスッと軽くなった。

 

なにか不満があったり悩んだ時、

一旦立ち止まって聴く

『本当に足りないものなんて、実はそんな

 無いんじゃない?僕はこれだけで十分なのに

 これだけじゃ駄目ですか?』

これだけで十分なのに(BASI  RIMIX)