ロウソクの火が消えるまで

日々の景色や思うこと。

3割に嫌われている

Abemaの有田哲平の引退TVでローランドが言っていた。

言い回しは多少違うかもしれないけど、大体似たようなことを言っていた。

 

見ていて、とても共感できたと言うか、腑に落ちたと言うか、

そんな事言われなくても分かっていたというか。

 

 

1年前に元職場の後輩が死んだ。

交通事故で、どちらかと言うと加害者側だった。報道を見ても、とんでもない速度で突っ込んだんだろうなと、一目でわかるぐらい被害を受けた車の側面は凹んでいた。

 

その時には私自身、会社を辞めているも同然だったし、そんなニュースを知るよしもなかったんだけれども。

同僚からのLINEでその訃報を知った。

 

その時の感情は今でも覚えている。

私の心は歓喜に満ち溢れていた。

 

当時の社内のトラブルは、ほぼ全てと言ってもいいほどその後輩が発端で、

新しい場所に移動したばかりの私の苦悩は、その後輩への接し方や、彼のトラブルに対処する毎日だった。

おかげで心を病む事になるトドメとなる出来事もあったし、それから私の人生の底のような毎日が始まった。

 

だから、彼が死んでくれて良かった。

心からそう思えた。

私の想像し得る範囲内で、彼の死を本当に心から悼む人なんて居ないと思ったし、それでも仕方ない人生だと思った。

享年21歳だった。

 

彼の死を告げられた瞬間の私の感情は本物で、

でも、その反面、私のいつか来たる死にも同じ感情を抱く人が少なからず存在するのだろう、と

そう思ったのを今でも鮮明に覚えている。

し、今でもそう思っている。

 

私はきっと、彼が生きた人生の3割。

その中の、更に1割ぐらいには彼を忌み嫌っていた人間なんだろう。

 

顔も名前も想像出来ないその3割は、私が今まで生きてきた人生にも存在して、

彼らは私の死を知った時、心の震えが抑えられないほど歓喜に満ち、なんなら祝いの酒を飲み明かすほどには喜ぶのだろうと思う。

 

そう思えば、これからの人生は、私のことを好いてくれる7割の為に。

もっと言えば、その中でも異質なほど私を評価してくれる彼ら、彼女らの為に生きればいいや。

と思うと、これからの人生が少し身軽になった気がした。